青山から六本木へ Sekappyの軌跡を振り返る ~Stand the test of time~

 時は2010年、Sekappyの影も形もなかった頃。

 高桑 祥広、佐藤 レイ、そして高橋 純也の3人は、ある野望を共有した――。

 “マジックプレイヤーの集まる会社をやりたい。”

 それは草の根トーナメントの中で互いに腕を磨き、マジックに青春を捧げていた“かつての少年”たち。そんな彼らもまた、進学や就職など様々な節目を超えて、すでに成人を迎えていた。

 しかしそうした時の流れも、マジックに青春を捧げた彼らの情熱を衰えさせることはなかった。

 英語の慣用句に、”Stand the test of time.”というものがある。日本語では”時の試練を耐える”と訳されるこの言葉の意味するところは、時を超えて残り続けるといったところだ。

 喜び、悲しみ、驚き、怒りに湧いた感情を、あるいは夢中で何かに打ち込んだ日々のことを、時の流れは少しずつ記憶の下流に運んでいき、やがて忘却の海へと放流する。時の試練とは、そうした不可逆な流れを指した言葉だ。

 彼らがマジックをプレイし始めた日から、20年弱の年月が経っている。

 それは少年を大人にするには十分な時間。かつて少年だった日の熱意を、「そんなこともあったね」の一言にまとめてしまえるようになるには十分な時間だったはずだ。

 しかし今、その少年たちの1人――佐藤 レイは、プロマジック界のトップ・オブ・トップであるマジック・プロ・リーグで覇を競い合っている。

 もう1人、高桑 祥広はかつての野望を実現し、今や100人規模となった”マジックプレイヤーの集まる会社”であるSekappyを。

 そして残る1人。高橋 純也もまた、高桑 祥広の下で、佐藤 レイとともにSekappyのさらなる成長のために心血を注いでいる。

 彼らの情熱は、時の試練に打ち克った。

 これはSekappyの過去と未来の物語だ。

マジックを続けられるように

「あのとき、『マジックプレイヤーだけで会社やろうよ、何でもできそうな気がする』みたいな話をしたんだよね」

▲高橋 純也

▲高橋 純也

 冒頭、2010年に高桑から野望を共有された日のことを思い返すようにして、高橋 純也はそう語り、「といっても、粒度は粗くて、具体的に何しよう、みたいな話ではなかったけど」と笑った。

 高桑と高橋と佐藤が話したというそれをSekappyの萌芽と呼ぶのはあまりにも乱暴すぎるだろう。強いて言うなら、きっかけのようなものだ。

 しかし、高橋はそんな”ざっくりした話”にも大いに同調したという。その理由は、周辺環境の変化にあった。

「いつの間にか、周りのマジックプレイヤーがマジックから離れていったんだよね」

 進学、就職、結婚。同世代でマジックをしていたプレイヤーたちの中には、時間の流れとともにライフステージが変化し、その変化に適応するための手段として、好きだったゲームを犠牲にせざるを得なかった者もいた。

 どうすれば彼らと一緒にマジックを続けていくことができるのか。高橋と高桑と佐藤が出した答えは、その環境を作り出すということだった。

マジックプレイヤーがマジックを続けられる会社……っていうよりコミュニティかな? があればいいと思って。みんなでゲームをやって生きていこうよって言えるような」

 ”マジックを続けられる会社。”それはプロプレイヤーの活動を支援するという形に限らない。人それぞれにマジックとの理想の付き合い方があり、それを支援していけるようなコミュニティを作りたいというのが、3人の答えだった。

 月日は流れ、2016年の秋頃、高桑からSekappyの事業計画を聞かされる。最初の”きっかけ”からは6年の月日が流れていたが、高橋にとって時間はもはや試練にならなかった。

「当初の理念を体現するような形で、『その人とマジックの付き合い方の理想』をサポートしていきたいと思って。その考えに、『イゼ速。』を運営していた和田くんも賛同してくれたんだよ」

 タソガレこと和田もまた、たった1人で4年間マジックのメディアサイト『イゼ速。』の運営を行ってきた人間だった――元は個人運営のファンサイトだったのだ。プロプレイヤーでもない和田にあったのは、情熱だけ。サイト運営は時に困難もあったと言うが、しかしその唯一にして最強の武器だった情熱だけは4年間ただの1度も揺らぐことはなかった。

 マジックに身を焦がしてきたかつての少年たちが築く、Sekappyというコミュニティと、和田という人物の邂逅は、ベタな言い方で表現するなら偶然ではなく必然だったのかもしれない。

 高桑と高橋、そして和田。創業時には佐藤はまだジョインしていなかったものの、他にも数名の賛同者たちが彼らのもとに集い、2017年の4月にはいよいよSekappyの旗が上がった。だが、スタートに際して高橋には一抹の不安はあったという。

僕たちのやりたいことに賛同してくれる人が集まるかどうか、まったく不安がなかったと言えば嘘になるね。自分たちのやりたいことを深く伝えることができれば人は集まるはずだという自信はあったけど、単にイロモノ集団というか、身内ノリみたいに感じられてしまわないかは気がかりだった」

 前提として、SekappyはIT企業だ。仮にこれがカードショップであれば「あえてマジックプレイヤーを集めた」ということに一つの機能性が生まれるかもしれなかったが、Sekappyの本質はイシュー・ドリブンではない。ビジョン中心の集合が企業として成立するのかどうかは未知数だった。

 2017年7月、創業から3ヶ月。事業開始の準備を終え、いよいよSekappyの情報が公開された。高橋の懸念の答え合わせ。その結果は――

「だいたい2ヶ月間で、100人くらいの人たちがSekappyに話を聞きにきてくれた」

 ちょっと興味ある。とりあえず話だけでも聞いてみよう。すぐにでも入社したい。Sekappyへと足を運ぶ人たちの動機はそれぞれだったが、彼らの思想に触れてみたいと感じる人の数は、想像を遥かに超えていた。「ホッとする間もなく、毎日慌ただしく過ごしていたよ」と、高橋は当時のことを述懐する。

 それから2年。現在、Sekappyにはおよそ100名のメンバーが集まった。だが、規模感の変化以上に高橋の心を占めるのは「自分たちの理想に共感してくれた人たちがいた」という安心感だった。

 今宵もSekappyでは、終業後のメンバーたちが集まりマジックをプレイするだろう。

 マジックプレイヤーがマジックを続けられるコミュニティ、それは間違いなく今ここに――六本木一丁目の地にある。

マジックの力を信じていたから

「ここが出発地点。やっとやりたいことがスタートできる」

▲高桑 祥広

▲高桑 祥広

 現在のSekappyは、企業としてどのフェーズにあるのか。その質問に答えたのは高桑 祥広(CEO)だ。今回のオフィス移転は一里塚でさえないと言う。では、今から何が始まるというのか。

「今、Sekappyには“強いコミュニティ”があって。まずそこからサービスを生み出したい」そう述べたあと、高桑は自らの言葉を反芻し、こう続けた。

「それから、ゲームの力を世の中に証明したい

 「eスポーツ元年」と呼ばれた2018年以降、ゲーム・カルチャーを取り巻く環境が徐々に変わってきたことは、なんとなく感じられるような気がする。だが、確信は持てない。eスポーツないしゲームというものに関わっている者なら、おそらく同質の感覚を抱いているのではないだろうか。

 肌感覚に過ぎないが、どちらかと言えば依然としてゲームに対する世間の色眼鏡は外れていないのではないか?という印象の方がしっくりくる。実際、ゲーマーという概念は未だメインストリームに入ったわけではないのだろう。

 高桑自身、長年マジックというゲームに魅せられ続けてきた。だからこそ、ゲームの可能性を心から信じていた。

「ゲームは単なる娯楽として見られることも多いけど、俺にとってゲームっていうのは『その人の生き方を見つけられる』くらいのポテンシャルがあるものだと思う。ゲームってそのくらいすごいものだし、だからこそ『ゲームが好きな人たち』の力を見せたいんだよ」

 そこまで言い切って、高桑は「ゲームと一緒に生きていく人を増やすことが、この会社のスローガンだから」と付け加えた。

 Sekappyは、ゲームで繋がるコミュニティである。

 だからこそ、彼らとともに高いクオリティのサービスを発信することでゲームの価値を向上させたい。

 そして、ゲームと一緒に生きていく人がもっと増えればいい。

 それは一見して遠回りなようでいて、Sekappyにとって最大効率の正攻法なのかもしれなかった。少なくとも、声を張り上げて「ゲームはすごいんだ」と喧伝するよりもリターンは大きく、かつそのために必要な要素――高いクオリティのサービスを発信するための土壌もできている。『強いコミュニティ』ができていることこそ、Sekappyという企業の最大の強みだ。

神は細部に宿るって言葉を本気で信じてるんだよ。コミュニケーションが密なら、そうした細部までしっかりと作り込める。実際、うちのメンバーが作る製品の品質はめちゃくちゃクオリティが高いし、今後新しいサービスを作っていく上では、そこが強みになっていく」

 同一の趣味で集まったメンバー同士はコミュニケーションが細かく行き届くということを、高桑はSekappyを経営している中で肌身に感じていた。実際、現場の指揮を一任されているCTOの志村も高桑と同じことを述べていた。

 そんなコミュニティの規模が、現在100名弱というところまで大きくなったことについても、高桑は一貫して「これがスタートライン」という言葉で応じた。

「晴れる屋に8年半いて、たくさんのマジックプレイヤーを見て、マジックプレイヤーがコミュニティを求めていることは分かってた。今言ったようなチャレンジを開始するための最低限のラインを満たしただけだと思ってるよ。ここからが勝負だね」

 高桑の自信は揺るがない。しかし、上述した高橋は、Sekappy創業時に「自分たちのやりたいことに賛同してくれる人が集まるかどうか」を懸念していたと語っていた。

 私からそのことを高桑に伝えると、ニヤリと笑みを浮かべつつ「ここまでは絶対来れるって」と答えるのだった。

 Sekappyを創業するまで、高桑は株式会社晴れる屋の副社長というポストに就いていた。

 日本最大級のマジック専門店に身を置きながら、トッププロもカジュアルプレイヤーも、学生も社会人も海外のプレイヤーも。マジックに情熱を傾けている人間を数多く見てきた高桑にとって、Sekappyの価値は最初から揺るぎないものだったのだ。

「だって、マジックの力を信じてたから

 そう。高桑はSekappyを創業するよりも遥か前から、『マジックの力』を信じ続けてきた。ただ同じことを続けてきただけなのだ。何年も何年も――

 在りし日から、時の試練を乗り越えて。

 2019年10月、Sekappyは青山から六本木一丁目へと遷った。単なる移転と捉えることもできるし、一つの成果と捉えることもできるが、厳密な意味合いを定義することはあまり意味がないだろう。

 Sekappyは今、遠い過去と遠い未来の中間地点で、理想に向かうためのスタートラインに立った。その事実をどう見るかという違いでしかないのだから。

 少なくともはっきりと断言できることは一つ。

 まだこの物語は続いていくということだけだ。