Sekappy社員インタビュー:グランプリ横浜2019優勝、開発部・小林崇人から見たSekappyという会社

Sekappy社員インタビュー:グランプリ横浜2019優勝、開発部・小林崇人から見たSekappyという会社

先月に開催されたグランプリ・横浜2019において、「アーキタイプのるつぼ」とも形容される多様なモダン環境を相棒の鱗親和とともに踏破し、見事王者の座に輝いた小林”kbr3″崇人。
※画像はマジック日本公式サイトより引用
何を隠そう、彼は”マジック×IT”を謳う我々株式会社Sekappyの社員なのである。そこで今回はグランプリチャンピオンである小林に競技マジックへと目覚めた経緯、そしてSekappyという会社の印象について話を伺った。

マジックとの出会い、競技への目覚め

グランプリ・横浜2019優勝おめでとうございます。さっそくですが、まずは小林さんがマジックを始められた経緯について簡単に伺ってもよろしいでしょうか。
小林:ありがとうございます。マジックと出会ったのは小学生の頃で、元々ポケモンカードや遊戯王をやっていたんですが、それらの原点ということで興味を持ったのが始まりだったと思います。漫画のデュエルマスターズがまだマジックを題材にしていた時代ですね。ちなみに一番最初に買ったパックは『プロフェシー』でした(笑)
こからのめり込んで、小学6年生の時にはゲームぎゃざを買って読むくらいにはハマってましね。ちょうど『オデッセイ』の頃あたりでしょうか。ただ当時は小遣いも少なかったので、「安くて強い」の代名詞である青緑マッドネスを組んで回していました。
競技マジックに目覚められたきっかけはなんだったんですか?
小林:高校時代に初めてプロツアー予選を抜けまして。人生初のプロツアー(現ミシックチャンピオンシップ)に参加したんです。場所は神戸で、フォーマットは『時のらせん』ブースタードラフトでした。
※画像はマジック日本公式サイトより引用
結果は1-4-1と散々だったんですが、悔しいという気持ちよりも純粋に競技マジックの魅力にやられましたね。「あぁ、マジックにはこんな世界が広がっているんだ」と。
その後、より本格的にマジックをやるには地元から出るしかないと覚悟を決め、関東の大学に進学しました。意外とリアル大会の参加費や交通費が馬鹿にならず、マジック・オンライン(MO)に “kbr3” として手を出し始めたのもこの頃です。その後も学生時代に『闇の隆盛』『アヴァシンの帰還』と複数回プロツアーに参加しています。

エンジニアとしての成長と、Sekappyという転機

大学卒業後はどのようなお仕事をされていたんですか?
小林:卒業後は一旦地元の北海道に戻って就職しました。大学が理系で、その知識を活かせるということだったので建設コンサルタント会社のシステム部で働くことになりました。といっても部署自体がチームとして動いているという風ではなく、随時必要になったものをを各人が担当していた感じですね。自分のようにPHPをかじっていたので業務管理表を作ったりとか、インフラエンジニアのような方もいました。
この間はMOで少し遊ぶ程度で、本腰を入れてマジックはできていなかったです。結局その会社にはしばらく勤めた後、このままではシステムエンジニアとしての成長が難しいと判断して退職しました。
なぜSekappyへの就職を決められたのでしょうか。
小林:退職後はしばらく実家の方で過ごしていたんですが、その時に出ていたMOプロツアー予選で3没(決勝負け)してしまったんです。その時、本当にたまらなく悔しくて。そこから時間が経つにつれて競技マジックの世界に戻りたいという気持ちがふつふつと湧いてきたんです。そのタイミングでちょうどSekappyの担当者が北海道に来る、という話を耳にしたので説明を聞きに行きました。
そこで “本気の遊びは暮らしをつくる” というスローガンや、マジックプレイヤー向けの福利厚生の数々について紹介されて、面白い会社だなと思ったんです。新しい転職先もまだ見つかっていなかったし、またマジックに本格的に取り組むために上京もしたかったので、ぶっちゃけ「どんな会社か試してやろう」くらいの気持ちで就職を決めました。

Sekappyという“コミュニティ”

実際にSekappyに入ってみていかがですか?
小林:一番の魅力はやはりコミュニティですね。競技にせよ何にせよ、マジックを本気で楽しむためにはコミュニティへの所属が必要不可欠だと思うのですが、僕のように地方から出てきた人にはまずそれがない。なのでこういう会社の存在は貴重だと思います。実際今回のグランプリに参加するにあたっても多くの社員に助けてもらいましたし、デッキのカードについてもほとんどが同僚の方からのレンタルですから(笑)
※画像はマジック日本公式サイトより引用
仕事についても貴重な経験をさせてもらっています。前職では振られた仕事をただこなしていただけだったので、正直自分のスキルが通用するか心配でした。なので自分が所属している開発部の青野マネージャーに自分の書いたコードを認められたときは本当に嬉しかったのを覚えています。
業務としては最初に自社で大会運営システム「シャドナビ」の開発に携わったのと、現在は客先で用品発注システムの改修を行っています。顧客から現状の不満点を細かくヒアリングして、それをプログラムとして反映させる作業はとてもやりがいがありますね。これまでのSekappyでの業務で要件定義からテストまで、開発工程の流れを経験できていたのも大きかったです。

次なる戦いの舞台、バルセロナへ

最後に、この記事を読んでいただいた皆さんにメッセージがあればお願いします。
小林:Sekappyに入って結果が出るまでもう少しかかるだろうなと思っていたのですが、想像よりも早く競技シーンに帰ってくることができました。まずは7月のミシックチャンピオンシップ・バルセロナで結果を出せるように頑張ります。
僕は競技マジックをやるためにSekappyに入りましたが、社内はカジュアルにマジックを楽しまれている方もたくさんいます。今後も色んなマジックプレイヤーの方と同僚になれたら嬉しいですね。
いかがだっただろうか。今後の小林の活躍にもぜひご期待いただきたい。